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ADHD気質の私の生き方

投稿日:2025/10/16

1分前の私と、今の私、もっと言えば顔を洗ってる時の私。
顔を洗ってから今ここに座るまで、私の思考、
やりたい事、やろうと思ったこと、何度変わっただろう。

やりかけていたことの続きができない。
一度気になったらやらずにはいられない。

全く逆の状態だけどどっちも私。

それならそんな私とうまく付き合うしかない。

掃除一つにしてもそう。

とことんきれいにしたい時、そこに労力とか、きつさとか感じない。
だけどある日の私は部屋の中、いや、
机の上がめちゃくちゃでも、片付ける気にならない。
汚いなーと思いながらも、どう片付けていいか分からない。思考が働かない。

ただただぼんやりと、眺めてるだけ。

でもそれでも生きていけることにも気づいた。


「自分の物差し」で物事を測る。

「自分が今何が心地いいか、何がしたいか」

これが
「いかに自分を大切にできるか」
これだと思う。

汚い部屋も、自分がよければそれでいい。
きれいにしたいと思った時、気が済むまできれいにすればいい。

「汚い」そう人に思われたくないから掃除する。
「キレイにしないと怒られるから掃除する」

人にどう思われるかとか、こう思われたくないとか、

「人基準の物差し」で測るから苦しくなる。

ある程度の人目線は必要かもしれない。

だけど自分が汚いと思ったから、自分が不快を感じたから、掃除する。したいと思う。

これで物事は意外と成り立つこともある。


私の精神科の先生がよく言う言葉で好きな言葉がある。

「1日は24時間じゃなくていいんだよ。眠れなかったら寝たいときに寝たらいい。夜寝れなかったら昼寝をしたらいい。」

当たり前な事を言っているけど、私には刺さった。

夜は寝るべき。昼間は起きていないといけない。
そんな思い込みを作ったのは、

「一般的には」「普通は」

だった。自分が決めた他人基準のルール。
そこに自分は...とか、自分がどうしたいか。
なんてなかった。

自分基準で物事を考えるってある意味わがままかもしれない。

だけど自分が自分を大切にすること。

これが生きていく上で一番大切で、最強だと気付いた。

だって自分が自分を見捨てない限り、
自分という応援団がい続けてくれるんだから!











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